お侍様 小劇場

   “朝から はてな?” (お侍 番外編 25)
 

  今年の夏は“冷夏”というよりは“猛暑”であったが、それ以上に やたらと大雨が降ったなという印象が強い。何も今年からあった言い回しじゃあないそうながら、ゲリラ豪雨などという何とも荒々しい用語が飛び交ったし。朝はいい天気でも突然の間合いで途轍もない雨が降るもんだから、布団を干したままでちょっと駅前まで醤油を買いになんていう、お天気がらみの油断が一切出来なかったように思うもの。

 『え〜? そうでしたか?』

 そこまで用心深いのはシチさんくらいのもんですよと、お隣りさんにエビス顔で軽く笑い飛ばされちゃったけど。

 『まま、用心するに越したことはなかろうよ』

 昔の夕立も、勢いだけならゲリラ何とかと変わりなかったらしいぞ?なんて。年齢不詳なのはウチの御主といい勝負の お隣りの家主さんから、妙に年寄りじみた言いようでフォローしてもいただいて。

 “……そういや、ゴロさんて お幾つなんでしょねぇ?”

 胸元へと抱えていたボウルへ、リズミカルに動かしていた泡立て器がつと止まり。まだ誰も出て来ていないキッチンの静寂の中、唯一 刻まれていた物音が消える。
“初めてお会いした当時、アタシが十七で 勘兵衛様はまだ三十前だって言ったらば、妙に驚いてらしたけど。”
 あれから ひのふの、もう十年は経ってるってのに、お隣りの五郎兵衛さんもまた、

 “あんまり風貌は変わってらっしゃらないような……?”

 あれれぇ?と小首を傾げつつ、それでもその白い手、今度は ひたとも止まらぬまんま、てきぱきてきぱき 動いて動いて。明るいキッチンとつながったダイニング、必要なものだけ置いた、すっきりしたテーブルに居並んだのは。七郎次おっ母様特製、そぼろあんのかかった だし巻き風味のふかふかオムレツと、昨夜のうちに仕込んであったイワシの甘酢南蛮漬け。しじみのみそ汁には白髪ネギをてんこ盛りにして、箸やすめにはキュウリの浅漬け。レタスを敷いたガラス鉢にはポテトサラダという、お見事な朝ご飯のあれやこれや。その上へ“あ・そうそう”と手を打って思い出し、昨夜のカボチャの煮付けの残ったのも出しとこうと、冷蔵庫の前へ戻りかかったおっ母様の腕を。背後から近づき、そぉっと掴んだ人物があって。

 「…え? おや。」

 今日は日曜、それでも早起きな次男坊。いつもなら起きるとすぐにも庭に出て竹刀を振っていたものだが、そういえば今日は、なかなか姿が見えないなぁと、

 “昨日はお弁当持ちでの初登校だったようですし。”

 剣道部の本格的な練習が始まったんで、実はちょっぴり疲れていてのお寝坊かなぁなんて。ええ、ちゃんと気には留めてたんですよの、おっ母様。こちらさんはこちらさんで、絹糸のような金の髪もきっちりと引っつめに結い、うなじで束ねて。白いお顔によく映える、シャーベットグリーンのシャツも爽やかに。朝日目映いキッチンにて、朝食のお支度を進めておいでだったところを、丁度肘のところをつんつんと引いて中断させたお人こそ。一応はパジャマから普段着へ着替えていたものの、まだお顔は眠たげなまんまの久蔵殿。まだまだ小さい和子のそれのような起き抜けの様子へと、蒼玻璃の目元をやんわりと細めての咲き笑い、

 「おはようございます。今、お声をかけようと思ってたんですが。」

 朝ご飯も整いましたし、暖かいうちに さあどうぞと。庭へと向いた大窓から射し入る朝の陽さえも従えて、そりゃあ神々しく微笑んだお人の暖かさに絆されたものか、

 「…。////////」

 とろんとおぼろに覚束なく見えた目許や頬にも、朱が浮かんでの、生気もほんのり満ちたようだったけれど。そのまま ついと目線は逸らしての、やはり押し黙ったまんま。

 「久蔵殿?」

 咎めるでなし、とはいえ、何か言いたげなのは酌み取れるのでと。それを問うよに、やわらかなお声を重ねるおっ母様へ。まだ添えたままでいた手を、思い出してか…そのまま引くので、

 「???」

 依然として見通せぬながら、用向きがあるには違いないらしいと察してのこと。引かれるまま従えば。少ぉし冷たい指先をした次男坊、黙ってついて来る七郎次をリビングまで連れてゆく。朝一番に窓を開け、涼しい初秋の空気を入れたそこもまた、明るい光がほわりと満ちて、何とも清かな佇まい。揃って金の髪した色白な二人が踏み込むと、そのまま光の中へ溶け込みそうな様相でもあり。七郎次のそれが癖のない絹糸のような嫋やかさであるならば、久蔵の髪は綿毛のような軽やかさ。暖かな笑顔をにっこりと惜しみなく振り撒く七郎次と相反し、表情が薄いのも、感情表現に乏しくて人付き合いをしないのも。もしかして…この世のものではないからかも知れぬと思わせてしまうよな。そんな不可思議な雰囲気を醸しておいでの寡黙な君が、

 「? ここへ?」
 「…。(頷)」

 ソファーまで導いたおっ母様を、座れと押し込むものだから。まだまだ色々と読めないままながら、言われる
(?)ままに従えば、

 「…。」

 お行儀よくもお膝を揃え、ちょこなんと腰掛けた七郎次を、しばし眺めての、さてそれから。そんな彼のすぐ傍らに腰掛けた久蔵が、横合いから腕を伸ばして来ると、

  ―― ふわりと

 少しほど腰を浮かせての、上から包み込むように。七郎次の上体を、くるりとくるんで抱きしめてしまう。

 「? 久蔵殿?」

 何の説明もないまま、こうまで大胆な抱擁をされて。微動だにせず落ち着いていられる七郎次も大したもので。

 “アタシが構うと真っ赤になるくせにねぇ。”

 日頃だったら逆なので、甘えかかられること自体に抵抗はないけれど、強いて言えば珍しいことだなと。そこが腑に落ちぬという把握になってるおっ母様。重みをかけての凭れかかるでない、あくまでもきゅうと身を寄せているだけという抱擁は。だが、ほんの瞬き10回分ほどで解かれて。それで終わりかと思や、今度は久蔵の側も腰を下ろしたまんま、少しほど引っ張り寄せられて、その懐ろへぎゅうと掻い込まれている。

 「???」

 肘までの七分袖に、薄い肩口をなお細く見せる、ボートネックのシャツの襟元。鎖骨の合わせがちらりと覗くの、目の前に見つつ、やっぱり意図するところが判らぬままながら。不慣れな様子で、それでも大切そうに抱え込んでくれる、その腕の尋に気がついて。

 “…大きくなられましたよねぇ。”

 七郎次がその胸の内にて思ったのはそんなこと。ほんの5、6年ほど前は、膝へと手をつき、腰を屈めて、初めましてとご挨拶していたのにね。ひょいと抱き上げの、間近になったおでことおでこ、こつんこなんてして差し上げていたものが。今じゃあその懐ろにこんなして掻い込まれてしまうほど、立派な青年へと成長しなさった、木曽の次代様。今はまだ ちっとばかり、線も細くての頼りなげだが。島田家なりの成人の名乗り上げをなさったら、そこからはもう、木曽の支家の家長。お館様となられるお人なのだなと、それをしみじみと実感する。刀の道 一筋の一途さや頑迷なところが、今時にはちょっぴり生きにくい性となるやも知れないが、

 “そこのところは、勘兵衛様が。”

 ちゃあんと理解なさっておいでだから大丈夫。そして、寡黙なままに深い思慮もつ、こんな頼もしいお人に支えられる勘兵衛の先行きもまた、きっと安泰だろうなと。うっとりひたっておったれば、

 「……お。」

 この体勢もご不満か、こちらの身をちょいと押す格好にて起こさせて。先程と違い、今は自分の側を向いている七郎次の懐ろへ、幼子のようにごそもぞ もぐり込んで来て、

 「……。」

 はうと小さな小さな吐息をつき、やっとこ凭れかかって来た彼だったものだから。

 「満足なさいましたか?」
 「…。(頷)」

 今度はこちらのお顔の間近になった綿毛を、愛惜しげに撫でて撫でて。胸元へと伏せられた側はいいとして、残りの側の白い耳朶をば、そぉっと手のひらにくるみ込んで差し上げて。

 「…朝っぱらから睦まじいことよの。」
 「お人が悪い。ずっとご覧でございましたか?」

 視線だけを上げれば、戸口の刳り貫き、枠の柱に、精悍な肢体を凭れさせ。やっとのお目覚めか、勘兵衛が窓辺のこちらを眩しげに眺めておいで。伸ばした蓬髪を幾房か、こぼれさせたる胸元へ腕を組んでという、余裕とも不遜ともとれそうな格好でおられたものが。身を浮かせると、苦笑を浮かべたままにて歩みを運んで来られたが、

 「……。」

 気づいていように久蔵は、顔も上げずの素知らぬ素振り。玲瓏透徹、寡黙で無愛想。刀を振るうことにしか関心がないかのように見える久蔵が、七郎次を相手と限る話ながら、家ではこうまで甘えん坊。それを呈していてももはや慌てず、開き直ってか動じもしない。こんな頑是ない態度もまた、ある意味甘えよと思うてか、勘兵衛の口許の苦笑は絶えもせで。ただ、

 「で? 結局 何がしたい久蔵なのだ?」
 「そんな先から見ておいでだったのですか?」

 ああでもないこうでもないと、抱きつき方を色々と試していたことを差しての言なら。さすがにそこまでは気づいていなかったらしい七郎次が、あらまあとの苦笑をこぼしてから、

 「今朝方は随分と涼しい風が立っておりましたでしょう?」
 「うむ。」
 「どうやら窓を薄く開けていての、
  頬やらお耳やらを冷やしておいでだったので。」
 「…お主で暖を取っておったと?」
 「〜〜。////////」
 「どうやらそうみたいですね。」

 依然として説明もないままだったのに、結句、きっちり拾ってしまわれたところは相変わらずのおっ母様。冷やしたというそのお耳、別の赤さで染めるのを、お二人揃って見下ろしながら、長月の最初の日曜の朝を、ほのぼのと堪能なさっておいで。


  ―― ところで勘兵衛様。
      んん?
      こんなのんびりなさっててよろしいのですか?
      よい。
      会議があるとか仰せだったのでは?
      役員どもとて、頭が回り出すのは昼前だからの。


 …このご時世に豪気な秘書室長があったもんです。急かしはしないが、せめて遅刻はなさらぬようにと、困ったお人へ苦笑するおっ母様の懐ろで。こちらもこっそり、呆れたようなお顔した、次男坊だったりしたそうな。








   おまけ


 「今朝のでちょっぴり思い出してしまいました。」
 「? 何をだ?」
 「勘兵衛様だとて、同じような甘えようをなさってたって。」

 スーツ姿も様になる、シャープな体躯の、いまだに屈強精悍な殿方であり。青年の頃はさぞかし野性味あふるる雄々しき若者だったろうと感じられもするけれど。今の今は どちらかといえば、常に瞑想思索に耽っていそうな、そんな物静かな印象があると、どなたに聞いても口を揃えてそうと評される勘兵衛が。

 『…そんなところに頬擦りして楽しいですか?』

 女性のように柔らかな胸乳があるでなし。骨格だって男のそれで。槍の修行を始めてもいたから、筋肉がつき始めていた堅いばかりのこんな身を。何でまた好きこのんで組み伏せてしまわれるのだろうかと。ともすりゃ申し訳なくなったほど、いつだってそれは優しく慈しんで下さって。

 『お主の匂いがするからの。』
 『…はい?』
 『暖かいし心地がいい。人肌は安心させるというのはまことだの。』

 今にして思えば、勘兵衛様の側からも甘えておいでだったのかも知れぬと。今頃になって、久蔵からの甘えを受け止めていて、やっと気づいたおっ母様であるらしく。だがだが、それを言うならば、

 『…息遣いがして、お口やお鼻や、
  あと、お髭が当たるのが、何だか擽ったいですよ。////////』

 自分はそれしか感じはしませぬと、それにしては ああまで真っ赤になって言われてはなと。久蔵以上に可愛らしかったこと、当時とやらと同じ体制になり、しみじみ思い出している誰か様。やっぱり似た者夫婦、似た者親子だ、あんたたち。
(苦笑)




  〜Fine〜  08.9.06.


  *実は石川さゆりさんが好きで、
   中でも『天城越え』が大好きなおばさんです。
   あの、ちょっぴりなさぬ仲を匂わす情恋歌が、
   到底似合わん話ばっか書いとる身ですが、(まったくだ)
   勘七ものなら少しはそれらしいものが、
   書けてりゃいいなと…思いつつ。
   やっぱりこういうテイストのものの方が、肌には合ってるらしいです。

  *現代パラレルはいろんな意味で“お母様と一緒”シリーズには違いなく。
   さりげなくも勘兵衛さまとの奪い合いになってるようなのが、
   書いててたのしいったらありゃしません。
(笑)
   まま、昼の間くらいはと、今のところは寛大な勘兵衛様ですが…。

めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv

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